ゴシックとは何か? シリーズ第6弾。
「ゴシックとは何か?」他記事
(1)カトリックの支配する中世ヨーロッパに生まれた建築様式、実は異教の森
(2)中世ヨーロッパは布教途上。美術も音楽も異教的
(3)ゴシック様式受難の時代:ルネサンスは微妙な反ゴシック
(4)ゴシック様式受難の時代:宗教改革は徹底的な反ゴシック
(5)ゴシックの復活:イギリスの場は廃墟の美学
現代のゴシック
イギリスでは18世紀にリヴァイヴァルしてきたゴシックですが、ドイツは少し遅れて19世紀にわき起こります。
ドイツでは建築以外の芸術思潮に「ゴシック」という言葉を用いることはあまりありません。
しかしゴシック的なものはあります。
ゴシック的なものロマン派
ドイツでゴシックに相当するものは。ロマン主義やロマン派といいます。
文学
文学では、グリム兄弟が童話を収集したほか、数々のファンタジーや幻想作品が生まれました。ロマン派には幻想・奇想、非現実世界を扱った作品が多いのです。
特にゴシック的とされるのはE. T. A. ホフマンで『悪魔の霊酒』という修道院を舞台にした悪魔や分身をテーマとする作品があります。
原題は”Die Elixiere des Teufels”で『悪魔の霊液』と訳されている場合もあります。
そのほうがポップかもしれませんね。
美術
美術では、カスパー・ダヴィット・フリードリヒなどの画家たちが神秘的な風景画を描きました。
絵の中に、廃墟や十字架が登場し、美しい風景が描かれていても、暗かったり、霞がかかっていたりしてミステリアス。
どこかからお化けが出てきそうな雰囲気です。
音楽
シューベルト、シューマン、メンデルスゾーン、ワーグナーなど名だたる音楽家を生んだのも19世紀です。
ロマン派の詩にメロディーがつけられたものは、「ドイツリート」と呼ばれ、クラッシク歌曲における一ジャンルをなしています。
そして、ワーグナーは神話や中世の伝説をモチーフにオペラを作曲しました。
現代のドイツ人を見ると「音楽の国ドイツ」には大いに疑問を呈したくなりますが(関連記事↓)、19世紀ドイツの音楽に文句をつける気はありません。
目に見えないものへの憧憬
ロマン派の文芸思潮はゴシック的です。
非合理なもの、有機的な結びつきを尊んだのがロマン派の思想家・芸術家たち。
中世回帰もロマン派のキーワードのひとつです。
統一途上にあったドイツの場合は古い時代や伝統への回帰が民族主義と結びつきました。
ゴシックのドイツ代表ケルン大聖堂の完成は19世紀
ドイツを代表するゴテゴテ、ギザギザのゴシック建築はケルンの大聖堂。
世界遺産にもなっています。
進まない工事
しかし、このケルン大聖堂、着工は13世紀ですが完成したのはようやく19世紀になってからでした。
その間600年、ずっと工事が続けられていたわけではありません。資金不足から14世紀には進行が滞り、16世紀には完全にストップしてしまいました。
しかし19世紀に入ると、ナポレオン戦争に勝利したドイツ人の記念碑として、またドイツ文化の象徴としてケルン大聖堂の完成が求められます。
19世紀にようやく完成
1815年、プロイセンのフリードリヒ=ヴィルヘルム3世は建築家のシンケルに大聖堂の「修復」を命じました。
つまり、工事が止まっていた間、メンテナンスもちゃんとできていなかったんですね。
既存部分の修復が終わって、未完成部分の建築が始まったのはようやく1842年。
この時点ではケルン大聖堂の最も特徴的な、そびえ立つ二塔がありません。
1871年のドイツ帝国誕生を経て、1880年には全体が完成し盛大な式典が催されました。
ケルン大聖堂の完成工事は国威発揚のためのドイツ民族を挙げての国家事業のような位置づけにもあったのでした。
設計は中世のものを踏襲していますから、いちおうゴシックです。
ケルン大聖堂周辺の歴史的推移
以下はケルン大聖堂(およびその周辺)がどのように変化してきたか、ローマ時代から再現した動画です。ドイツ語ですが、6分50秒から7分30秒を見れば、中世から19世紀の完成までを追うことができます。
ケルン大聖堂公式サイトより
6分50秒 1322年
7分00秒 15世紀
7分15秒 16世紀初め
7分30秒 1880年(完成)
ゴシックシリーズでは、主な参考文献として、酒井健『ゴシックとは何か 』を挙げていますが、今回は参考箇所が最も少ない回となりました。
酒井氏いわく:
ケルン大聖堂は私が訪れた大聖堂のなかで最も生命力がなく、宗教性に乏しい大聖堂だった。死せる石塊。時間の停止した黒い巨体。ドイツのゴシック・リヴァイヴァルの代表例において、中世ゴシックの息吹はもはや根絶させられていた。
酒井氏の専門はフランス文学で、ドイツはあまり好きではないようです。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。