つれづれエッセイ

【本のレビュー】シャネルを復活させた男・カール・ラガーフェルドの名言集『カール・ラガーフェルドのことば』は機智に富んだセリフがいっぱい

独特のオーラを放つデザイナー、カール・ラガーフェルド

サングラスにポニーテール、そしてなぜか扇がトレードマーク!

カール・ラガーフェルドのアイコン公式サイトより

すっかりアイコン化しています。

こんなスマホカバーも!

多芸多才なデザイナー兼プロデューサー

カール・ラガーフェルドはドイツ出身のデザイナー。

自身の名を冠したブランドもありますし、「シャネル」や「フェンディ」「クロエ」のデザイナーとしても活躍するなど多ブランドを手掛けました。

たいへんに多芸多才の人で、カメラの腕前もプロ級。シャネルの広告写真もラガーフェルドが撮影しているのだとか。

太っていたこともありましたが、ディオールのスーツを着るために約40kgものダイエットに成功! ダイエット本も執筆しています。

ダイエットについて ラガーフェルドのことば

こういうダイエットをしたのは、人に触られたいとかセクシーになりたいとか思ったからじゃない。服をきれいにひっかけられるハンガーになりたかったんだ。

何かを失くすことが勝ちになるゲームなんてダイエットだけだ。

以下、本記事でのボックス内引用は『カール・ラガーフェルドのことば』(河出書房新社)より。

シャネル復興の立役者

「シャネル」は創業者ココ・シャネルの死後、業績不振に陥っていました。

しかし、1984年、カール・ラガーフェルドがクリエイティブ・ディレクターとして加わり、死んだも同然だったブランド「シャネル」を復活させました。

ラガーフェルドのシャネル評

ココ・シャネル(1883~1971)とカール・ラガーフェルド(1933~2019)は直接会ったことはありません。

しかしラガーフェルドは「シャネル」を熟知していました。

マドモワゼル(=シャネル)が天才的なのは、スーツとかカメリアとかゴールドチェーンとかを、まるで自分が発明したみたいに導入してみせたことだ。ちょっとチャーリー・チャップリンのステッキや口ひげや帽子みたいなふうに。

ちゃんとしたレディになろうというのがシャネルの考えだった。ただ、〈ちゃんとした〉が〈つまらない〉に変わってしまう瞬間というのがあるーーそしてわたしは〈つまらない〉とは闘わなくてはならない。

ラガーフェルドはココ・シャネルの遺産を引き継ぎながら現代に活かし、未来につなげました。

ぴりっとしたユーモアと不遜さ。伝説が生き残るのに必要なのはそれだ。

ココ・シャネルの派手な生涯にスポットが当たることが多いですが、ブランド「シャネル」は後継者の手腕で保たれてきたのでした。

意外と協調型のラガーフェルド

シャネルの人材や組織に注目しているのが『シャネルの戦略―究極のラグジュアリーブランドに見る技術経営』(東洋経済新報社、2010年)。

その中でラガーフェルドは優れたデザイナーであったばかりではなく、優れたリーダーであった点に触れています。

ラガーフェルドは外見から想像されるようなカリスマ型リーダーではなく、実は褒め上手の気配りさん

現場との和を重視した、協調型のリーダーだったようです

仕事に関するラガーフェルドのことば

休みはきらいだ! あれはいつも同じ場所で同じことをする連中がとるものだ。わたしはミラノ、パリ、ニューヨークと走りまわって過ごしている。すすんで一日20時間はたらく。わたしはインディペンデントなプロフェッショナルの模範例だ。

けっこうワーカホリックです。

幸福ははじめから与えられているものじゃない。手に入れようと思ったらはたらかなくてはいけないし、少々努力が要る。

でも、大変に前向きです。

わたしはまったく問題がない。わたしの人生の奇跡がそれだ。問題はひとつもない。解決法があるだけだ。

そして、波や変化を恐れない。

ものごとが好調なときに毎回あわせていこうというのなら、低調なときも知りつくしていなければいけない。

変わっていくというのは、生き残るためのいちばん健康なやり方だ。

母は強し! ラガーフェルドの場合

「親の顔が見たい」という言葉があります。

普通、悪い意味で使いますが、いい意味で、そう思うこともあります。

ラガーフェルド母は、カールのような子が育ちそうな肝っ玉母さんでした。

ラガーフェルドが母について語った言葉:

11歳のとき母に、同性愛って何、と訊ねた。母は言った。「たいしたことじゃないわよ。髪の色と同じ。ブロンドの人も、茶色の人もいるでしょ」

私も10~11歳ぐらいの頃、マンガで読んで同性愛というものがあるのを知りました。マンガだから、絵やストーリーで勝手に納得していましたけど。

のりあちゃん
のりあちゃん
ラガーフェルドみたいにお母さんに聞いたら何と答えたかな?

きっとうろたえたことでしょう。

同じく小学生の頃、マンガに出てきた「嫉妬」という言葉がわからなくて、母に聞いたら、答えてもらえなかったことを覚えています。

 

ラガーフェルド母は息子が広い世界で活躍する人物であることを見抜いていたのでしょうか。

わたしが生まれたのは港町ハンブルクだった。母はよくこう言ったものだ。「ここは世界への玄関口だけど、玄関口でしかない。だからさっさと出ていきなさい!」

それでなのか、カール少年は10代でパリに行き、早々と服飾デザインの仕事に取りかかっています。

母は人生訓も授けています。

自分自身に関心があってこそ、他人のために時間を使う余裕が出てくる。母はこう言った。「自分をあまり犠牲にしてはダメよ。あげるものが何もなくなってしまうから。だからまずは自分のことを考えなさい。そうしたら、他の人に関心を持って、役に立てるようになるから」

自己犠牲は美しいようでもありますが、ほどほどに、ということですね。

本の虫ラガーフェルド

ラガーフェルドはたいへんな読書家でした。

わたしは多いときなら20冊を同時並行で読んでいる。

私もライターという仕事柄、20冊ぐらいを資料として同時に使うことはありますが、「読む」という感じではないですね。

本というのは表紙のあるドラッグで、いくらやったって過剰摂取にはならない。

わたしは本なしでは生きられない。本のない部屋は死んでいるも同然だ。

わたしは自分の本の奴隷だ。

気持ちはたいへんによくわかりますが、これを言ったのが作家や学者でなくデザイナーだというところに凄みを感じます。

 

『ラガーフェルドのことば』(河出書房新社、2020年)はぶっ飛んだデザイナーの名言集(迷言集?)。

贈り物にもいいかも!

 

中には「ゴルゴ13」みたいな物騒なセリフもあります。

わたしが何かするときは100%やる。わたしはプロの殺し屋だ。

そして、

わたしは生鮮食品みたいなものだ。わたしの言うことは長持ちしない。

なんて人を食ったようなものも。

ファッション界のレジェンド、カール・ラガーフェルド

2014年にはラガーフェルド映画も作られています。

映画『ファンションを創る男―カール・ラガーフェルド』予告編

カール・ラガーフェルドは2019年に85歳で亡くなりましたが、伝説は生き続けています。

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。