今回はグリムの『ドイツ伝説集』より「橋の上の宝の夢」についてです。
グリムの『ドイツ伝説集』
『グリム童話』は有名ですが、同じくグリム兄弟が編纂した本に『ドイツ伝説集』があります。
「伝説集」は「童話」に比べてはるかに知名度が低いですが、『ハーメルンの笛吹男』だけは有名です。
ご存知の方も多いと思いますが、こんな話:
ネズミに困っていた町にある男が現れ、一定の報酬でネズミ捕りを引き受けます。しかし、ネズミが退治されても町の人は約束の礼金を払いませんでした。腹を立てた男は町から子どもを連れ去ってしまいました。
「童話」と「伝説」はどう違う?
グリム編纂本の場合ですが、「むかしむかしあるところに……」と、場所や時代を定めずに、魔法や変身ものが多いなど、いわゆるメルヘンチックなのが「童話」。
それに対して「伝説」は具体的な場所や時代が特定されていて、ややリアルなものが収録されています。日本人には聞き慣れない地名や人名が出てきて、「どこ?」「誰?」となって読みにくいかもしれません。
その他グリムの「伝説」の特徴として、次の点が挙げられます。
- オチがなく「だから何?」(ハッピーエンドでない上、喜劇でも悲劇でもない「?」な終わり方をするものが多い)
- 場所やキャラの説明だけで終わっていて、やっぱり「だから何?」
- 残酷な描写、気味の悪い話が多い。
- 性的な描写がある。(「童話」ではかなりぼかされている)
もっとも、「童話」にも『ブレーメンの音楽隊』のように場所がはっきりしているものもありますし、「伝説」にもこびとや妖精、魔物などが出てきます。
また「童話」に収録されている『ヘンゼルとグレーテル』では魔女が焼き殺され、『白雪姫』では継母が最後、灼熱の靴を履かされて死ぬまで踊らされるなど、残酷なシーンがあります。
というわけで、明確な定義づけは難しい。
「橋の上の宝の夢」Version 1
あまり有名でないグリムの「伝説」ですが、「童話」のように、もっと広まってもいいのになあ……という願いをこめて、『グリムドイツ伝説集』の中から、比較的童話っぽい話「橋の上の宝の夢」を紹介します。
パン屋の小僧が橋の上に行けば宝が見つかるという夢を見ました。
それで、何度も橋の上を行ったり来たりしていると、乞食が話しかけてきました。
「何をしているの?」
「橋の上で宝が見つかる夢を見たんだ」と小僧が答えると、
「自分も教会墓地の菩提樹の下に宝が埋まっているという夢を見たけど、そこへ行こうとは思わない」
それを聞いたパン屋の小僧は教会墓地の菩提樹の下で宝を掘り当てました。
「橋の上の宝の夢」Version 1 解釈
乞食は乞食のままであり続け、パン屋の小僧は金持ちになりました。
自己啓発本的に読めば、「行動力がすべて」という教え。
教訓:やるかやらないか、行くか行かないか、それが運命の分かれ道!
「橋の上の宝の夢」Version 2
「橋の上の宝の夢」には別バージョンもあります。
Version 2:
ある男がレーゲンスブルクの橋に行くと金持ちになれるというお告げを聞きました。
男は実際に毎日足を運びました。ある日、裕福な商人が男に尋ねました。
「何を探しているのですか?」
「レーゲンスブルクの橋に行けば金持ちになるだろうというお告げがあったのです」
「夢はうたかたで、ウソですよ。私もあの大きな木の下に金のつまった大きな釜が埋まっているという夢を見ましたが、そんなこと気にとめません」
男は商人が指差した木の下を掘りました。すると、たくさんの宝がみつかり、男は金持ちになりました。
「橋の上の宝の夢」Version 2 解釈
Version1と似ていますが、主人公が橋で出会ったのが「裕福な商人」であるところが違います。
Version2は、裕福な商人がそれとなく金持ちになる方法を教えてくれたという見方もできるのでは?
教訓:金持ちになるには金持ちの話を聞け!
「橋の上の宝の夢」Version 1+2 解釈
どちらの話でも、主人公は〈何度も〉橋をウロウロしています。
「ちょっとやそっとであきらめてはいけない」
そんなふうにも読めます。
『グリム童話』に比べて、知名度がイマイチの『グリムドイツ伝説集』ですが、生の素材感があり、民俗学や歴史学的にはこちらのほうが興味深いかも。
なお「解釈」は個人的なこじつけですので、みなさま、それぞれに自由に読んでお楽しみください。
世界遺産レーゲンスブルクに思う
画像はお話に言及されているレーゲンスブルクです。旧市街は世界遺産となっています。画面右の橋は中世からあるもので、物語の「レーゲンスブルクの橋」とは、まず間違いなく、これのことでしょう。
場所かわって、初めて東京の「日本橋」を見たとき、歌川広重の『東海道五十三次』の第1番とあまりにかけ離れた景色に呆然としたものです。まさか広重の「日本橋」のママとは思いませんでしたが、橋の上に無粋にかかる高架には、歴史への冒涜を感じざるをえませんでした。
初めて見る私でもびっくりしたのですから、都内に住んでいた人々はどう思ったことか。それとも近代化の象徴として喜んだのでしょうか。
この景色を作り上げた当時の人々の心境は知るよしもありませんが、歴史的街並みを残しているヨーロッパ諸都市を見るとうらやましく思うことがあります。
もっとも、ヨーロッパは博物館のようだと皮肉を込めて言う人もいますが。
最後まで読んでくださってありがとうございました。