ヨーロッパのゴシック建築、昔はあまり好きではありませんでした。
とくに子どもの頃は、グロテスクで気持ち悪いと思っていました。
ゴテゴテして、装飾過多。目にうるさい感じ。
でも大人になるにつれ、「ヨーロッパの建物はこんなもの」と勝手に納得しておりました。
ケルンの大聖堂を、じかに見たときには、好き嫌いを超えた迫力を感じて圧倒されました。
そして最近、酒井健著『ゴシックとは何か』(講談社現代新書、2000年/ちくま学芸文庫、2006年)を読んで、いろいろと目からウロコ。
ヨーロッパ的に見えるゴシック様式。
実は、ヨーロッパにおいて必ずしも「正統」ではなく、独特の時代精神の現れであって、時代や場所によって、蔑まれたり、尊ばれたりしてきた芸術表現なのでした。
ゴシックとは
ゴシックとは「ゴート人の」という意味です。最初は15~16世紀イタリアの文化人がアルプス以北から伝播してきた建築様式を侮蔑的にこう呼びました。
ゴート人とはスウェーデン南部にいたゲルマン民族の一種族で5世紀には西ローマ帝国に侵入しスペインに西ゴート王国を、イタリア半島に東ゴート王国を築きました。
「ゴート人」には野蛮人に征服されたイタリア人の歴史的恨みが、こもっています。
ただ、ゴシック様式が発展した中心部は北フランスなんですけどね。
どっちにしても「野蛮人」ということなのでしょう。
近現代には英・独・仏がヨーロッパの中心となっていきますが、当時はイタリアのほうが先進地帯でした。
異教を取り込んだカトリック
ヨーロッパのキリスト教化には、実は、かなり時間がかかっており、16世紀はじめでも、まだ不完全。
改宗が進んでいたのは上層階級であって、農民は異教徒が多く、迷信や魔術が信じられていました。
聖母マリア信仰は地母神崇拝
「聖母マリア信仰」など、キリスト教の信仰の主流派かと思ったら、実はヨーロッパ各地に古くから存在していた地母神崇拝にキリスト教の装いをかぶせたものみたいです。
カトリックは異教の習慣・風俗を巧みに取り込み、勢力を拡大しました。
冬至の祭りがクリスマスに
キリスト教徒でなくても知っているキリスト教の祭日はクリスマスですが、もともとキリスト教とは何の関係もありません。イエス・キリストの誕生日ということになっていますが、イエスが生まれた年ですら怪しいのに、まして誕生日など、今も昔も誰も知りません。
12月下旬は日照時間が最短になり、そこらまた日が長くなります。自然が死から再生する日としてゲルマン人ほか異教徒にとって大切な日でした。
カトリックは彼らの冬至の祭りをキリスト教の祭りクリスマスにしてしまいました。
再生の日は万聖節に
ケルト人が新年の再生の日として最も重視していた11月1日は殉教者を祀る万聖節となりました。
ハロウィーンの日です。最近では日本でも盛んにイベントが行われていますね。
ハロウィーンの風習が色濃く残っていたのはアイルランドですが、移民によってアメリカに伝播し、アメリカナイズされた大衆文化として、いまや世界各地に広まっています。
実はいい加減なカトリック
異端審問だの宗教戦争だの、厳しく取り締まっているイメージのカトリック教会ですが、実はかなり柔軟というか、いい加減で、異教の風習をごちゃごちゃ取り込んでいました。
権威に楯突かず、おとなしく服従すれば文句なしだったのかも。
ゴシック大聖堂は森
天に向かって高く高く、より高くとそびえ立つゴシック建築。あれは森だそうです。
そういえば、柱が林立する木に見えなくもない。葉っぱのような装飾(彫刻)もあります。
ゲルマン人やケルト人には樹木信仰がありました。そういう異教的なものを取り込んだのがゴシック建築であったというわけです。
日本人の感性からすると、ものすごく人工的ですが……
そういえばクリスマスツリーも、もともとはドイツの習慣で、イギリスのヴィクトリア女王がドイツ出身の夫アルバートのために飾ったのが、大英帝国に、そして世界へと広まったと言われます。
磔刑キリスト像の不思議 キリストは生贄
もうひとつキリスト教について、かねてから疑問に思っていたのはイエスの磔刑像です。
十字架に釘で打ち付けられて血を流しながら痛々しい姿のイエス。
こんな残酷な像を前にして、よく平気でお祈りなどできるものだなあ……と。
見るに堪えない残酷な像を教会の目立つところに飾り、しかも、その像に向かって自分の願い事をしたりする。
こんな不幸な人の前でつまらない願い事など、私ならできません。
初期キリスト教絵画は明るかった
しかし、あるときローマ時代の初期キリスト教においては、そのような悲惨な絵や像はなかったと聞きました。
初期キリスト教時代に描かれた図は、イエスが奇跡を起こしたり、人びとを救ったり、幸せな喜ばしい光景を描いた絵でした。
後の教会に飾られる画像のようにイエスの受難を強調する痛々しく悲しい光景ではなかったのです。
キリスト教が暗くなったのはゴシック時代から
では、いつから悲惨な受難のイエスが強調されるようになっていったのか?
長年の疑問でしたが、実はゴシック時代からだそうです。
ゴシック以前にも磔刑像はありましたが、「勝利のキリスト」を表し、死に打ち勝ち復活を果たした力強い姿で表現されていました。
それが12世紀半ば以降、とくに13世紀からの盛期ゴシックの時代になると「苦悩のキリスト」が大聖堂の十字架やステンドグラスに飾られるようになったのです。
生贄の表象なのだとか。
パリの大聖堂の地下からはケルト神話の大地の神の石像が発掘されています。この神は人間の生贄を欲し、しかも人間が樹に吊るされて供されるのを望んだそうです。
ほかにもケルト人やゲルマン人の地母神は生贄を供される対象でした。
ゴシックの大聖堂に集った人びとは十字架のイエスに、森林のなかの供犠を見ていたのではないか、というのが『ゴシックとは何か』の著者酒井氏の見解です。
そう思う人もいるでしょうが、個人的には一定の説得力があるように思います。
- ゴシックは「野蛮人の」という、もともとはネガティブな意味
- 天を目指して高く伸びる建造物は森の木
- 磔刑のイエスは生贄
参考文献
酒井健『ゴシックとは何か』(講談社現代新書、2000年 / ちくま学芸文庫、2006年)
最期まで読んでくださってありがとうございました。
(「ゴシックとは何か?(2)」につづく)