本のレビュー

政治への「天職」を持つ人間とは? 古くて新しいマックス・ヴェーバー『職業としての政治』『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』

こんにちは。ライターまぐのりあです。

マックス・ヴェーバー(Max Weber)をご存知ですか? 1864年プロイセン王国(現ドイツ)エルフルトに生まれ、1920年にミュンヘンで没した政治学者・社会学者です。

昨年(2020年)はマックス・ヴェーバー没後100年。

昔の人ですが、その著作は恐ろしいほどアクチュアル!

カタカナは「ヴェーバー」だったり「ウェーバー」だったりしますが、あまり気にしないでください。

ドイツ語の「W」は濁りますので、「We」は「ヴェ」のはずですが、「ヴ」と「ウ」で揺れています。ちなみに、ほかにも表記が2つあるもの(Wagner:ワーグナー/ヴァーグナー)や「ワ行」で定着しているもの(Volks Wagen:フォルクスワーゲン)がけっこうあります。

なぜか日本で人気のマックス・ヴェーバー

マックス・ヴェーバー没後100年を機に刊行された野口雅弘『マックス・ウェーバー 近代と格闘した思想家』中公新書によると、「1984年に、ドイツの出版社モーア・ジーベック社で、マックス・ウェーバー全集(Max Weber-Gesamtausgabe)の刊行が始まったとき、注文の3分の2は日本からのもの」だったそうです。

のりあちゃん
のりあちゃん
出版社もびっくりだね

日本でヴェーバーを研究する人が多かったんですね。

そういえば、大学に入学したばかりの頃、教室でドイツ語志望の動機を先生に聞かれたとき、学生がひとり「マックス・ウェーバーを読みたいからです」と答えていました。

のりあちゃん
のりあちゃん
1人じゃ、たいしたことないんじゃない?

でも、他の学生が「ドイツ文学が読みたい」「ドイツの歴史に興味がある」「ドイツの音楽が好き」などジャンルで答えていたのです。それに対して、個人名を上げて「この人の作品を原書で読みたい」と言った学生が1人いたのは、ある種、特別なことでした。

政治学の古典『職業としての政治』

マックス・ヴェーバー作品のうち、『職業としての政治』だけは学生時代に読みました。120ページほどしかないので、すぐに読めます。

政治学ゼミの教材だったので読まざるを得なかったのですが、意外とおもしろいとの感想を持ったのを覚えています。

改めて読んでみると、やはりおもしろい、というか身につまされます。

「議会の無力という現象で、長い間、指導者の資質を持つ人間が議会に入ってこなかった」

「専門的に訓練された官僚層が圧倒的な重要性をもっていた」

「政治上の主義を持った政党が存在し……議会制に背を向けていたという事実が、議会主義を不可能にした」

以上、戦間期(第一次大戦と第二次大戦の間の時期)のドイツではこうだったという文章のはずなんですが、いつの時代のどこの国の話かと思ってしまいます。

そして、この本最後の決め台詞は:

「どんな事態に直面しても『それにもかかわらず!』と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への『天職』を持つ」

のりあちゃん
のりあちゃん
今の日本に、そういう人いるかなあ?

『職業としての政治』、政治学の古典です。

名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』

そして、まさに「天職」をテーマにした本が『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』

おそらくマックス・ヴェーバーの著作の中で最も有名な作品でしょう。

近代資本主義を築いたのは、敬虔な信仰心にもとづいて職業(Beruf:神による召命、天職)に勤しみ、その結果、たまたま資本を蓄積してしまった人々だった!

商人は古今東西あまたいたけれども近代資本主義は禁欲的に働いたプロテスタントから生まれ、利己的な金儲けのために働いた人々からは生まれなかった、と。

のりあちゃん
のりあちゃん
キリスト教では金儲けはよくないことなんだよね

基本的にそうなのですが、プロテスタント(カルヴァン派)にとっては、利益を得ることそのものではなく「所有によって休息すること」がいけないのだそうです。

「富の享楽によって怠惰や肉の欲」にふけってはいけない。「財産がいかがわしいものだというのは、それがこうした休息の危険を伴うからにすぎない」

でも、神から召命された営みを積極的に行うことはいいことなのです。

時は金なり

「時は金なり」とはベンジャミン・フランクリンの言葉とされていますが、実はこういう宗教的な背景のある言葉なのでした。

神から与えられた短い人生を無駄に使うとは何事か!? 自らの使命をまっとうせよ!

なのです。

そうやって禁欲的に仕事に励めば、結果的に儲かって、お金持ちになるというわけ。

アメリカは初心を忘れた?

でも、もともと営利目的でなかったとしても、いざ儲かってお金持ちになってしまうと、初心を忘れてしまいがちです。

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の最後には、こう書かれています。

「営利のもっとも自由な地域であるアメリカ合衆国では、営利活動は宗教的・倫理的な意味を取り去られていて、今では純粋な競争の感情に結びつく傾向があり、その結果、スポーツの性格をおびることさえ稀ではない。将来この鉄の檻の中に住むのは誰なのか、そして、この巨大な発展が終わるとき、まったく新しい預言者たちが現れるのか、あるいはかつての思想や理想の力強い復活が起こるのか、それとも……一種の異常な尊大さで粉飾された機械的化石と化することになるのか、まだ誰にも分からない」

のりあちゃん
のりあちゃん
3択だけど、ぜんぶ出てきてるんじゃ?

ヴェーバー没後100年の今、その慧眼に驚かされます。

米国の今、そしてその背景となる宗教事情に関しては内藤陽介『誰もが知りたいQアノンの正体 みんな大好き陰謀論II』をどうぞ。トランプとQアノン現象、その生まれてきた歴史的背景などについて詳しく解説しています。

みんな大好き陰謀論II
内藤陽介『誰もが知りたいQアノンの正体 みんな大好き陰謀論II』ビジネス社内藤陽介の陰謀論シリーズ第2弾はアメリカのネトウヨ「Qアノン」の正体を暴く本。編集ライターが語ります。...

成功しても奢らず謙虚に!

たしかに自分のことだけを考えていては成功しないというのは本当かも。

しかし人間、成功すると、ついつい調子に乗ってしまうもの。

奢りたかぶって災難を招く行動をとるなどして人の恨みを買う。結局、騙されたり、失敗したりする。一時的に成功したとしても、続かない。

のりあちゃん
のりあちゃん
三代続く長者はないって言うしね

厳しく自己を律する規律・規範を持っていてこそ、成功を維持・発展させることができる。

プロテスタンティズムの禁欲主義が資本主義を生んだが、生まれた資本主義は金儲け主義に走っている、なげかわしきかな。

という本でした。

のりあちゃん
のりあちゃん
パラフレーズしすぎじゃない?

日本人にはわかりやすいマックス・ヴェーバー

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読むと、マックス・ヴェーバーが日本で人気なのもうなずける気がします。

日本には「農民は農作業そのものが禅、芸人は芸に打ち込むことが禅」と言った鈴木正三(1579~1655)や

倹約につとめ、正直を心がければ、正当な利益を得ることは道にかなうと説いた石田梅岩(1685~1744)がいます。

すでに日本にあった勤労道とでも言うべき商人道徳や職人気質を西洋のヴェーバーに見つけて喜んだというところではないでしょうか。

のりあちゃん
のりあちゃん
なんか、バカにしてる?

いやいや。マックス・ヴェーバーは偉いと思います。

マイスター・エックハルト(詳しくはこちら)もそうですが、日本にもともとあるものを西洋にも発見することはけっこうあります。

ただ、あちらの人のすごいところは説明能力です。ああでもないこうでもないと手をかえ品をかえクドクドと言ってくる。

のりあちゃん
のりあちゃん
やっぱりバカにしてる!

そんなことありません。

クドすぎてうるさいことが多いんですが、大は小を兼ねる。

言葉が少なすぎてわからない場合は、言わんとすることを想像するにしても限界があります。

でも多すぎる場合は、どこか一部だけでもわかるところがあれば、それをヒントに、「こんなことを言っているんだろうな」と見当をつけることができます。

いずれにしても欧米プロテスタント諸国と日本で資本主義が発達し成功したのはビジネスの裏につらぬかれる倫理観があったからということでしょうか。

プロテスタント諸派の流れがわかる

ところで一口にプロテスタントと言ってもいろいろな宗派があります。

カトリックはローマ教皇を頂点としてひとつにまとまっていますが、プロテスタントは○○派がたくさんあって、どういう流れなのか全然わかりません。

でも『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』では、各宗派の流れをまとめてくれていて「そうだったのか!」と納得の感があります。

のりあちゃん
のりあちゃん
意外な収穫だったね

ピューリタンとか、敬虔派とか、メソジスト派とか、ごちゃごちゃしていたのが、すっきりしました。

分かれたり再合流したりしているので、ルター派、カルヴァン派と分けられないものがあるようですが、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で中心的に扱われているのは大なり小なりカルヴァン派の要素を含んでいる宗派たちです。

もっと早くに読んでおけばよかった。というか読んでおくべき本でした。はい。

でも、遅くとも、読まないよりはマシ。

本記事で紹介した本

マックス・ヴェーバーは1920年、スペイン風邪で急逝してしまいます。56歳でした。惜しいと思う反面、ナチスの台頭を見ずに早々と病死したのは不幸中の幸いだったかもしれません。

最後まで読んでくださってありがとうございました。