今回は私が翻訳した本の4冊目、ゲルハルト・ヴェーア『評伝マイスター・エックハルト』を紹介します。1999年に出版されました。
ドイツ語原書について
原書“Meister Eckhart”はドイツのローボルト社のrororo Bildmonographienという古今の有名人についてコンパクトにまとめている定評ある評伝シリーズの一冊です。シリーズで扱われている人物はほとんど西洋人ですが、たまにブッダや孔子、ダライ・ラマ14世など例外もあります。
著者のゲルハルト・ヴェーア(Gerhard Wehr)氏は(1931~2015)宗教哲学関係書を多数書いています。ヤーコプ・ベーメ、ルドルフ・シュタイナー、C・G・ユング、マルティン・ブーバーなど思想家・哲学者の伝記のほか、特に神秘思想関連書を多数発表しています。
ドイツ神秘思想の代表者マイスター・エックハルト
本書の主人公マイスター・エックハルト(1260頃~1328年4月以前)はドイツ神秘思想を代表する人物です。
テューリンゲン(現ドイツの中央部)地方出身のドミニコ修道会士。エアフルト修道院長、サクソニア管区長を務め、パリ大学やケルン大学で教授職に就くなど、高位聖職者だったのですが、晩年、その教説が異端であると告発されます。
ケルンで始まった異端審問は場所をアヴィニョンに移して続行され、エックハルトはそこで死を迎えます。しかし、どのような死に方をしたのかはわかっていません。病死だったのか、拷問にあったのか、謎です。60代後半、当時としてはかなりの高齢ですから、南仏アヴィニョンに向かうだけでも骨が折れたに違いありません。
仏教に近い!? エックハルトの思想
中世ヨーロッパで異端の嫌疑がかかったエックハルト、その思想は読めば読むほど仏教的です。
象徴的なのは、本書の「はじめに」で、いきなり日本人の写真が出てくること。仏教学者の鈴木大拙、日本の禅文化を海外に広めた人です。鈴木はエックハルトの説教を読んだとき、とても深く印象に残ったといいます。
そこに述べてあった思想は仏教的な見解に近く、仏教から影響を受けているのではないかと疑いたくなるほどであった。少なくとも私には、エックハルトはかなり代わったキリスト教徒であるように思われる。
マイスター・エックハルトのケースは中世における最初にして唯一の高名な神学者・修道士にたいする異端審問とも言われますが、「高名」でない人はたくさん火あぶりで処刑されていた時代でした。
マリアとマルタ
マイスター・エックハルトが自由な解釈を展開している説教に「マリアとマルタ」があります。
聖書によると:
一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(ルカによる福音書 10章38~42節)
一読すると、イエスはマルタをたしなめ、マリアを褒めているように読めますが、エックハルトはそうではないと言います。
「マリアは、自己の至福感のためにそこに座っていたのではないだろうか。本当の霊的成長をおろそかにしていなかったかどうか疑わしいと思うのである」
著者ヴェーアは、「修道院の霊的指導者としての実体験から、エックハルトは修道士・修道女がややもすると自分の殻に閉じこもり、自己中心的でエゴイスティックな内面化に走る危険性を承知していた。そうなってしまうと霊的な富を積み上げても日常の仕事をおろそかにするようになってしまう。……マリアのような人はおうおうにして瞑想の心地よさにおぼれて、責任をもって参加する精神に欠ける傾向がある点を指摘している」とパラフレーズ。

16世紀のピーター・アールツェンの絵画には台所で働らくマルタが大きく全面に出ています。説教するイエス、その話を聞くマリアは遠くに小さく描かれ、主題を理解した上で絵をよく見ないとわかりません。エックハルト的な解釈でマルタを主人公にした絵です。
内側だけに向かわず、日常の仕事などの「行い」で外側にも向かってこそ霊性も向上する。
神秘主義というと現実逃避した思想であるかのような印象を持っている人がいますが、エックハルトは、この世の現実をなおざりにしていません。
神から自由になれ
エックハルトの言葉:
私たちが神から解き放たれますように。そして高位の天使もハエも魂も同じになるところで真理を把握し、永遠に享受しますように。
人間が神からまたあらゆるものから自由であって、神が魂のうちで働こうとするときに、神はその都度みずから場となって、そのうちで働こうとする。
「神から自由にならなければならない」、そこだけ取ったら確かに異端かも。
最終的に教皇ヨハネス22世はエックハルト個人を異端者とはしませんでしたが、エックハルトの教えの一部を誤りとし、そのような教えを含む著作を広めることを禁止しました。

ところで、禅には「仏に逢うては仏を殺せ」という有名な言葉があります(臨済録)。「権威にまどわされるな。主体性を持て!」と。
日本ではこんな過激なことを言っても異端審問に引っ張られることはありません。
むしろ禅は日本文化のメインストリームです。
最重要キーワードは「離脱」
説教などは口伝なので、「エックハルトの説教」は本当にエックハルトのものなのか、写し間違いはないか、その辺が実は怪しいのですが、『離脱について』は論述で、もとの原稿をエックハルトが書いたことは間違いないと言われています。
論述は
「旧約・新約聖書はもちろん異教のものをいろいろ読んでみたが、離脱にまさるものはない」
とはじまり、
私がつねづね説教で語っていることは、まず第一に離脱についてである。人間は自分自身やほかのあらゆるものから自由でなければならないのである。
と説き、
離脱は最も良いものである。なぜなら魂を浄化し、意識を清め、心を燃え立たせ、霊を呼び覚まし、望みをかりたて、神を認識させ、造られたものから離れ、神と合一する。

仏教も「執着」しないことを説いています。
世の中は諸行無常、生々流転するのだから、変化を受け入れ、今あるものに執着してはいけない。
ですから「離脱」も仏教徒にとっては、なじみのある考え方だと言えるでしょう。
後世に与えた影響
エックハルトの思想は、それ以後のドイツ神秘思想の発展に大きな影響を与えることになります。直弟子のハインリヒ・ゾイゼやヨハネス・タウラーはもちろんのこと、15世紀のニコラウス・クザーヌス、とりわけ19世紀のロマン主義時代にフィヒテ、ヘーゲルらによって大きく再評価されます。ショーペンハウアーやニーチェもエックハルトに関心を寄せています。
日本語で読めるエックハルトの説教・論述
マイスター・エックハルトについての書籍はいくつかありますが、手軽に読める文庫本2冊を紹介します。
2冊とも説教と論述、マイスター・エックハルトをめぐる伝説からなり、重複している箇所も多々あります。
『エックハルト説教集』岩波文庫
岩波文庫の『エックハルト説教集』は「説教集」だけあって、ほとんど説教からなっています。
M・エックハルト『神の慰めの書』講談社学術文庫
講談社学術文庫『神の慰めの書』は紙面の3分の2を論述が占めます。タイトルになっている「神の慰めの書」のほか、「高貴なる人間について」「離在について」などエックハルト思想のキーワードとなる論述が収められています。
後日譚:Nolite timere eos(恐れるな)
以下はエックハルトとはあまり関係ありませんが、翻訳後に起こった不思議なできごとがあります。

ある朝、妙な言葉で起こされました。
「ノーリーテ ティメレ エオス」
いきなり大きな声がしたのです。まるで耳元で叫ばれたような鮮明さでした。
意味はチンプンカンプンでしたが、ラテン語だということだけはわかりました。
気持ちが悪いので、大学院で受講したラテン語の教科書『ラテン語初歩』を開きました。
潜在意識が覚えていたとして、ラテン語なんて、これしか読んで(見て)いないはずだから、この中に絶対あるはず!
ところが隅から隅まで探しても、ない。
メメント・モリ(memento mori 死を忘るなかれ)のような有名な格言が、あちこちに散りばめられている教科書だったのですが、ノーリーテ・ティメレ・エオスそのものずばりの文章は結局、見つからずじまい。

それでもあきらめずに、本文の文法説明と巻末の単語集にあたり、解読を試みました。
nolite + 動詞不定形 は「……するな」。timereは「恐れる」。eosは「それ」。
つまり「それを恐れるな」!
意味のわからないラテン語で起こされて、調べてみたらちゃんと意味をなしている。
ゾ~ッとしてきました。
不可思議な「お告げ」におののきながら数日たったころ、ハッと気がつきました。
マイスター・エックハルトです!
エックハルトの説教は聖書の一節(ラテン語)で始まります。そして「体を殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな(マタイによる福音書 第10章28節)」の冒頭部がノーリーテ・ティメレ・エオスなのです。
『評伝マイスター・エックハルト』の原文は基本的にドイツ語ですが、著者がNolite timere eosをタイトルのように使っていたのでした。
それが頭にこびりついていた!
面目ない!
何もないところからお告げが下ったわけではないことがわかってホッとしましたが、それにしても強烈な体験でした。寝ている時に、いきなり轟くような大音響、しかもラテン語で起こされたのは後にも先にもあの朝だけ。一生忘れません。
その後、Nolite timere eos(恐れるな)は座右の銘のひとつとなりました。
出版不況の中、翻訳書は特に厳しい……
本書出版の数年後、私は日本を離れドイツに行くことになりました。
ドイツ語原書を探すには日本より恵まれた環境にありますから、生活が落ち着いてきた頃、ドイツから翻訳出版を打診してみましたが、不況は出版業界も例外ではなく、あまりいい返事はもらえませんでした。
新評論の二瓶社長(当時)の言うには「翻訳モノは特に厳しいんだよねぇ」。
というわけで、それ以後、翻訳書を出版する機会はなくなってしまいました。
最後まで読んでくださってありがとうございました。