『死後世界の探求』『聖書の奇蹟』に続いて、私が翻訳した三冊目の本、ミラン・リーズル『神とは何か』(Milan Ryzl, The Science of the Divine)を紹介します。1998年に出版された本です。
心霊現象や預言について超心理学的視点から考える
超心理学(parapsychology)は人間の隠れた能力を研究する分野です。いわゆる「第六感」や「超感覚的知覚(extrasensory perception: ESP)」などと呼ばれているものですね。
著者リ―ズル博士によると、ESPは五感や機械ではとらえられないものを知覚します。超感覚的知覚は誰でももっている能力なのですが、たいていの人はこれを(まだ)うまく使いこなすことができません。しかし、他の能力同様に訓練によってどんどん高めることができます。
エラーの除去が課題
『神とは何か』では、預言者のビジョンや霊媒の言葉、臨死体験、やや新しいところでは1980年代に流行った「チャネリング」なども、超感覚的知覚(ESP)によるものとの仮説に立って、諸現象を分析しています。
古今東西の超常体験そのものは実際にあります。著者は、その存在そのものは肯定しながらも、体験内容について体験者が語るまま無批判に容認されてしまいがちなところを問題視します。体験にはたんなる幻覚が含まれている可能性が大きいし、期待や願望など体験者の心理も影響してくるのです。
この点がまさに超感覚的知覚(ESP)研究の基本的な課題であり、エラーを除去する方法が確立してからでないとESP体験から真の知識を得ることはできないわけです。
神の概念を変える超心理学
超心理学は実験にもとづく自然科学の一分野ですが、これを専門に研究してきたリーズル博士が宗教に興味をもつようになったのは、超心理学的諸現象が宗教と密接な関わりをもっているからです。
博士は研究をすすめるうちに、超心理学的な現象と世の宗教家の言葉との共通性に気がついたと語っています。
各人に宿る「究極のリアリティ」 肉体・精神・魂
リーズル博士は語ります。
「究極のリアリティ」は人間一人一人のなかに肉体・精神・魂としてセットになってそなわっている。神はどの人間にも宿っている。
ユダヤ・キリスト・イスラム教世界では支配者として君臨し、世界や人類とは遠く隔たったはるか高いところにいる神のイメージが強いが、アジアの宗教(ヒンドゥー教や仏教)は次のように説く。
「神はあなたである」(チャーンドーギヤ・ウパニシャド)
「自分自身の心をみつめなさい。そこに仏があるのです」(菩提達磨)
神(仏)はすべての人間のなかに宿っている。わたしたち人間は神(仏)の一部である。
しかし、実は昔のキリスト教徒も同じことを感じていた。
「わたしは父のなかにおり、父はわたしのなかにいる」(ヨハネによる福音書)
「神の国はあなたがたのなかにある」(ルカによる福音書)
時空を超える神 どの宗教も同じ
リーズル博士は教条的なキリスト教には疑問を感じていて、東洋の宗教・思想および諸宗教の共通点にとても興味を持っていました。
そしてどの宗教にも奥底には同じような思想があると考えていました。
「目に見えるものも、見えないものも含めたこの創造を超えて、ただひとつの目に見えないものがある。高次の永遠である。これは至高の終焉である」(バガヴァッド・ギーター)
「わたしは、すべてである。木の枝を割ってみよ。そこにわたしがいる。石を投げてみよ。そこにもわたしがいるだろう」(トマス福音書)
神とは
「なんでもない……空っぽだ。存在しないと言ってもいいくらいだ」(マイスター・エックハルト)
神はどこにでもあるし、どこにもない。つまり時間・空間という時限は神には当てはめられないものである。
物質と精神を別のものとして分けて考えず、両者はたがいに補いあうものという発想がここにはあります。
このような考え方は、出版当時は最先端とまでは申しませんが、そこそこ珍しい感じを受けたように記憶しています。だからこそ出版の意義があると考えたわけです。
1960~70年代のヒッピー世代の欧米人は東洋趣味を持っていましたが、主流ではありませんでしたし、その多くは表面的でした。
本書を今あらためて読み返してみると、耳慣れた感じを受け、時代の変化を感じさせられます。
日本人はいろいろな宗教を信仰しないまでも排斥しませんし、神道も仏教も物質と精神を明確に分けない教えです。だから、わざわざ「すべての宗教は同じ」と言うためにくどくどと説明するようなことはせず、むしろ当たり前の前提のようにさらっと流します。
しかし、リーズル博士は欧米の読者に向けてかなり紙面を割いて世界の宗教の共通性を強調しています。この辺のくだりは今となっては陳腐に感じる人も多いかもしれません。
その後のキリスト教圏の人たちの著作や主張を見聞きするに、だんだん「どの宗教も核は同じ」との思想が表に出てくるようになりました。一時期はやった「引き寄せの法則」などもそうですが、自己啓発書などの語り口が東洋的・仏教的に響くことは珍しくなくなってきています。
超感覚的知覚(ESP)を目覚めさせる方法
『死後世界の探求』についての記事で『ESP開発法』の翻訳は断られたと書きましたが、本書ではその一端に触れています。
超感覚的知覚(ESP)は、直観的な問題解決を必要とする瞬間に、創造的霊感(インスピレーション)となって働いています。このとき必ずしも博士の被験者(『聖書の奇蹟』参照)のような、後にそのときの記憶がなくなるようなトランス状態である必要はありません。
ただ、次の2つが必要です。
- 問題に持続的に深い関心をよせること
- 問題に専心する集中力
あることに没頭している状態とトランス状態とは実は明確な境目を設けることが難しいのです。だからこそ修行を積んだ人でなくても能力を発揮することがある。
宗教家でなくても哲学者、科学者、政治家、詩人、芸術家の卓越した思想・業績・作品は超感覚的知覚(ESP)の働きだったのではないかと著者は考えています。
直観という名の天使
目には見えないけれども、その人を守ってくれる天使を「守護天使」と呼んだりしますが、リーズル博士によると、この天使の働きもまた潜在意識で働く超感覚的知覚(ESP)です。
また宗教儀式などの伝統行事を超心理学的な視点から見てみると、最初にそれを考えだした人々が今日でいう(超)心理学的側面でいかに優れた知識をもちあわせていたかに驚かされるといいます。
超感覚的知覚をめぐる知恵は古くから存在していたというのに、失われ、忘れられ、今日あらたに再発見しなければならなくなったと。
リーズル博士の主張は、信者にとっては聖書やドグマ、それぞれのファンタジーを否定されたように感じるでしょうし、懐疑論者にとっては眉唾ものと感じられるでしょう。
博士自身も研究はまだ端緒についたばかりであることは認め、今後の研究で明らかにしていかなければならないと言っています。
「こうなのだ」と言い切るには検証不十分なのです。しかし、長年、実験や研究を続けてきた博士の考察は傾聴に値するのではないでしょうか。
リーズル博士の実験結果と宗教・哲学的素養が組み合わさった作品
宗教そのものと宗教組織とは違う。そして、信仰は個人の問題であり一人一人が神に直接向かうべきだ。
著者は、このように考え、ほんとうの宗教を理解するために、個々人が超感覚的知覚(ESP)によって自分自身で体験することをすすめています。
自ら神に向かおうとの主張は、社会的・政治的な意味あいで、あるいは神学・哲学の世界から多くの人々が掲げてきたものです。しかし、その根拠に超感覚的知覚能力を置き、実験にもとづいてこの能力を発達させるための具体的方法を述べているところがリーズル博士独自の展開といえるでしょう。
もっとも超心理学者の間でも立場や見解にはかなり違いがあり、リーズル博士の主張が超心理学界の定説というわけではありません。本書は著者自身の実験結果と宗教・哲学的素養が組み合わさったもので、読者の方々に「神とは何か」考えるヒントにしていただきたいとの思いで執筆された作品です。
最後まで読んでくださってありがとうございました。