香水と言えばフランス。とくにシャネルは有名です。
シャネルはフランス人だし、シャネル5番も当然フランスの香水。
しかし、シャネル5番の調香師エルネスト・ボーはロシアからやってきました。
そんな調香師ボーに焦点をあてながら壮大な歴史を語っているのが『シャネルN゜5の謎 帝政ロシアの調香師』(大野斉子著、群像社、2015年)です。
ロシアと香水
ロシアと香水ってあまりイメージ結びつきませんよね。
それもそのはず、
香水産業のスタートが19世紀なかばの1843年。急激に発達し、20世紀初頭には200を超える香水会社がしのぎを削り、ペルシア、中国、ヨーロッパに輸出するまでになっていたのですが……。(p142)
1917年、ロシア革命が起こります。
「ブルジョア文化」の香水産業は廃れてしまいました。
エルネスト・ボーの前半生
シャネル5番の調香師はロシアで香水づくりをしていたエルネスト・ボー。シャネルとの出会いをつないだのはロシア皇帝のいとこディミトリー(ドミトリー)大公です。
この辺りについてはシャネルの伝記についてまとめた記事をご参照ください。
ロシア生まれのフランス人
後にシャネル5番で一躍有名になるエルネスト・ボーですが、本人はロシア時代について、多くを語りませんでした。
その前半生は謎につつまれていますが、家族関係などはわかっています。
父エドゥアール・ボーはフランス生まれ。モスクワで仲介業を営んでいるときにエルネストが生まれます。
エルネストにはエドアルド(エドゥアール)という兄がいて、この兄が出世して香水も扱う化学製品の製造・販売会社の偉い人になりました。
1898年、兄がロシア香水業界の草分けラレ社の取締役になると、弟エルネストも同社に入ります。(p249)
ロシア生まれロシア育ちのエルネストですが、いちおうフランス国籍だったらしくフランス軍に徴兵されています。
香水製造を学び始めたのは軍務から戻った1902年のこと。
そして、はや1907年に調香主任に抜擢されます。28歳でした。
それからボーの才能が本格的に開花します。
1913年に作られた香水「ブーケ・ド・カトリーヌ」は、シャネル5番の前身に相当する香りだったと言われます。(p250~254)
ところが翌年には第一次大戦が勃発。
しかも1917年にはロシア革命が起こり、香水工場は政府に接取されます。
第一次大戦とボー
エルネスト・ボーは戦争が始まった1914年にフランス軍に従軍しています。
戦争中のボーの足跡はよくわからないのですが、フランス軍だからフランスに行って西部戦線で戦っていたのかというとそうでもなく、1918年にロシア北部の町アルハンゲリスクに配属となっています。(p255~256)
革命後、ロシアはドイツと単独講和を結び、対外戦争を終えたはずでしたが、革命政権の赤軍と抵抗する勢力(白軍)との内戦が始まります。さらにイギリス、アメリカ、フランス、日本が軍隊を送り、ロシア国内では内戦と同時に干渉戦争が進行します。
日本が行った干渉戦争は「シベリア出兵」と呼ばれます。これについて詳しくは細谷千博『シベリア出兵の史的研究』(岩波現代文庫、2005年)をおすすめします。
もっとやさしくポップな本、倉山満『史上最強の平民宰相 原敬という怪物の正体』にもシベリア出兵について出てきますので、この時代の日本に興味のある方は、ぜひ記事を読んでいただきたく!
アルハンゲリスクで白軍の諜報員
ロシア北西部、白海にのぞむ港湾都市アルハンゲリスクはロシア内戦期には反革命軍(白軍)の拠点となり、1918年夏には干渉軍が占領します。
エルネスト・ボーはフランス干渉軍の一員として、そのアルハンゲリスクに赴任しました。ロシア語が堪能なボーは秘密諜報部員として活躍。ムジユグ島の捕虜収容所で捕虜の取り調べなどを担当しています。(p257)
白軍が捕まえる捕虜ですから革命軍やそれに加担した人々です。
ネット検索しても本書しか出てこない謎の島。
アルハンゲリスク市から北北西に約35km(p28)だそうですが……、グーグルマップを見ても、地名表記がないですね。
ひとつだけ関連記事を見つけました(’Death Island’: Britain’s ‘concentration camp’ in Russia)。この英文記事でもシャネル5番の調香師エルネスト・ボーがそこで働いていたことに触れています
『シャネルN゜5の謎 帝政ロシアの調香師』におけるエルネスト・ボーの収容所時代の記述は主にラスカーゾフ『捕虜の手記』によっています。
ラスカーゾフは、ボーについて冷酷で威圧的な人物として描いています。(p258)
ボー、フランスへ移住
こんな経歴のボーですから、革命後のロシアに居場所はありません。
1919年、フランス軍の撤退とともにボーもロシアを去り、二度とロシアに戻ることはありませんでした。
フランスに移住します。
ボーは曲がりなりにも(?)フランス人ですが、多くの亡命ロシア人がフランスに移住しています。フランス語はロシア上層階級の教養語であったため、フランス語のできる人が多かったのです。
ちなみに音楽家のストラヴィンスキーやラフマニノフ、画家のカンディンスキーやシャガールらも亡命ロシア人。
亡命者のうち貴族や大金持ち、芸術家など一流の文化人は受け入れられましたが、うとまれて苦労した人も多かったようです。(p266~271)
シャネル5番で大ブレイク!
エルネスト・ボーは、特殊技能者として成功した移住者の部類と言えるでしょう。
移住翌年の1920年、シャネル5番が誕生しています。
エルネスト・ボーは、その後も数々の名香を生み出し、「シャネル5番に続いてシャネル19番、シャネル22番、ガーデニア……」(p268)
おかしいですね。
22番、ガーデニアの調香師はボーですが、19番はアンリ・ロベールのはず。
それに19番が出たのは1970年だから、ボーはとっくに死んでいます。
著者の大野さん、ロシア語学・文学畑の人ですから、香水そのものにはあまり詳しくないのかも……。
ロシア史が圧巻
でも、歴史の話は興味深いですよ。
『シャネルN゜5の謎 帝政ロシアの調香師』はタイトルからするとエルネスト・ボーの伝記のように見えますが、他にも、いろいろと盛りだくさんです。
第1章をシャネル5番で語りはじめ、
第2~4章は香りの歴史、ロシアの歴史を語り、
第5章エルネスト・ボーで締める。
著者あとがきによると「本書は、香りという視点から帝政期を叙述したロシア文化論であるとともに、香水の歴史に新たな頁を書き加える試み」で、特にロシア史の部分が読みどころです。
上流階級ほど不潔だったロシア
たとえば18世紀ロシア宮廷の不潔について。
「民衆の文化に古くから風呂が存在していたロシアにあっては、上流階級ほど不潔な状況にあったとみてよいだろう。風呂に入って体の清潔を保つという習慣もなく、宮廷の貴族たちは嗅ぎタバコと体臭、酒の匂いで大変な匂いを放っていた」(p90)
著者によると、18世紀に始まる西欧化政策のせいです。先進国フランスの文化をロシア宮廷に取り入れたため、フランスの不潔も輸入してしまったのだとか。
だから、19世紀以降、石けんや香水産業が発達するわけです。
「体が発する悪臭は道徳上の罪の存在を暗示し、その人間の邪悪さの証明となるのである。身体の清潔・不潔や匂いへの感性はロシアにおいては、近代よりもむしろ文化の古層と深く結びついており、入浴の習慣は古くからの信仰に包まれた世界に根ざしていた」(p181)
香水や石けんは本来、西洋近代を象徴するような製品であったけれども、それがロシア文化の古層にある身体観と結びついたということでした。(p182)
その後のエルネスト・ボー
ボーはフランス人の両親から生まれたフランス人なのですが、ロシアで生まれ育ちましたから中身はロシア人だったのでしょう。亡命ロシア人のグループ「自由なロシア」(フリーメーソンロッジのひとつ)の設立メンバーとして積極的に活動しています。(p289)
1961年にエルネスト・ボーは亡くなります。
大病から回復したのもつかの間、それまで彼が務めていたポストを奪われたためにショックを受け、再び健康状態を悪化させて死んでしまったのです。(p291)
79歳でした。
現代風にアレンジされたシャネル5番ロー(Chanel No 5 L’Eau)
エルネスト・ボーが作ったシャネル5番は古典的な名香ですが、個人的には正直なところ、あまり好みではありません。
しかし、5番を現代的にアレンジした香りがあるので紹介します。
シャネル5番ロー。2016年に発売された比較的あたらしい香りです。
トップはシトラスの香りがさわやかに香り、オリジナル5番の粉っぽさを残しながら、さわやかで上品な香りです。
トップ | アルデヒド、レモン、ネロリ、マンダリンオレンジ、オレンジ、ベルガモット、ライム |
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ミドル | イランイラン、ジャスミン、メイローズ |
ベース | ホワイトムスク、オリスルート、シダー、バニラ |
昔の5番は濃厚ですが、5番ローは軽やかで若い方にもおすすめできます。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
(文中、ページ表記のある部分は『シャネルN゜5の謎 帝政ロシアの調香師』からの直接引用または要約。それ以外は本の叙述と重なる部分もありますが、ブロガーまぐのりあの感想、意見です)