【ライティングアシスタントチーム倉山工房・編集協力担当が語る制作書籍紹介】
「投票したい人がいない」と思いませんか?
まさか無責任野党に入れるわけにはいかないし、かといって自民党も利権屋ばかり。
全然いないわけではないのでしょうが、国民の政治不信は高まるばかりです。その責任の全部ではなくとも、かなりの部分は長らく政権党であった自民党の体質にあるのではないでしょうか。
日本の大政党・自民党のルーツは、実は原敬にあります。
原敬について知ることによって、現代政治も見えてくる!
今回は私が倉山工房でアシスタントを担当した本の中から、倉山満先生の著書『史上最強の平民宰相 原敬という怪物の正体』をご紹介します。
『史上最強の平民宰相 原敬という怪物の正体』
アマゾンなどで「原敬」で検索すると、無数の本がヒットします。
それだけ語り尽くされている感のある原敬。
『桂太郎 日本政治史上、最高の総理大臣』の最後に触れましたが、良かれ悪しかれ、悪しかれ悪しかれ、今に至る日本政党政治の元凶をつくった人物だからです。
そこで、
徳間書店から倉山満の憲政史本第2弾!
倉山満『史上最強の平民宰相 原敬という怪物の正体』徳間書店、2021年
↓を見てください。
巻数はありませんが、背表紙を並べると、『世界一わかりやすい日本憲政史』と体裁が似ていて、姉妹本であることがわかります。
そして、前作『日本憲政史』からの「拒否権から見る日本近現代史」のコンセプトも生きています。
拒否権の観点から見れば原敬など偉人でも何でもない!
拒否権が政治を決める構造は現代でも続いています。
そのため、青木幹雄がいまだに意味不明な権力を持っているのです。
(突然、青木幹雄が出てきましたが、これを理解するには倉山塾に入るしかない!)
人間に100も0(ゼロ)もない
原敬は外交官出身のくせに外交オンチ。
戦争すらも党利党略の駆け引きに使う。
利権のバラマキ構造を根づかせたのも原敬です。
『桂太郎』は子孫の方が仏壇に供えてくれましたが、『原敬』は縁者が床に叩きつける本に……なるかと思ったら、幸いそういう報告はまだ受けておりません。
それに、「人間の善悪や能力を100%か0%かで評価してはいけない」とは著者倉山満のモットーです。
本書タイトルにも原敬が「史上最強」であったことが謳われています。
強いことは悪いことではありません。ただし、権力を正しく使えば、ですが。
原敬は不安定な政友会をまとめ、最大の政党に仕立て上げました。
それまでにも政党人が入閣した内閣はいくつもあったのに、「初の本格的な政党内閣」と言われます。
なお、何をもって「本格的」かについて、本書内で詳述していますので、ここでは省略します。
何より原敬は尊皇家でした。
あらゆることを政局・政争に使った原ですが、皇室だけは政治に使いませんでした。
晩年は皇室を守ることに気を配り、誠心誠意つとめた結果、命を落としました。
原敬が我が身かわいさに、のらりくらりと対応していたら、もっと長く生きられたかもしれません。
つまり、信念の人ではあったのです。
最強の政治家が亡くなってしまうと、またたく間に最大最強政党であったはずの政友会が四分五裂します。
原敬がいかに天才的な政党指導者であったかがわかります。
『史上最強の平民宰相 原敬という怪物の正体』紹介動画
以下は『原敬という怪物の正体』紹介動画です。
一見、原敬とは何の関係もなさそうな有名人の話も。
やっぱり偉人、原敬
桂太郎は確かに最高の総理大臣かもしれません。
しかし、最高の実績が残せたのは桂がいわば長州閥のプリンスだったからです。
もっとも、のちの寺内正毅など長州閥のプリンスでありながら、何の実績も残さなかったところからも、活躍の前提として桂個人の資質があったのはもちろんのことです。
しかし、もしも桂太郎が東北に生まれていたら、はたして首相となったでしょうか。
原敬は盛岡に生まれ、明治の主流であった薩長藩閥はむしろ敵です。
政友会に入り、政友会を大きくすることで、政権の座につきます。
ですから、選挙に勝たなければなりませんでした。そこは桂太郎と大きく違うところです。
藩閥側である桂は政権を担うために選挙に勝たなくてもよかった。
いくら桂が首相として残した実績が最高でも、現代の政治家に桂太郎を見習えというのは酷かもしれません。
一方、原敬は、ある意味で現代政治家のモデルとなりうる政治家です。
これぐらいはやれよ、と。
本書ではピカレスクヒーローの原敬ですが、(前言とは矛盾しますが)やはり偉人には違いないと思います。
明治・大正三部作
なお、明治・大正史をより深く追いたい方は、以下の2書も合わせてお読みいただけると幸いと存じます。
『世界一わかりやすい日本憲政史』(徳間書店)
『桂太郎 日本政治史上、最高の総理大臣』(祥伝社)
最後までお読みくださって、ありがとうございました。
なお、本ブログは個人ブログであり、サイトの記述には著者や他の工房員とは異なる視点も含まれます。